ペルシャの金貨(Persian gold coin)の歴史:ダリックからパフラヴィーまで
古代アケメネス朝のダリックからパフラヴィー朝の金貨まで、イランの貨幣史を網羅。ペルシャの金貨(Persian gold coin)の変遷、重量基準、意匠の意味を学術的な視点から解説する決定版ガイドです。

イラン高原の地において、黄金は単なる富の蓄積手段ではなく、統治者の神聖な権威を可視化するための最も重要な媒体でした。紀元前546年頃、リディア王国を征服したキュロス2世(Cyrus II, 559–530 BC)は、当時の先進的な貨幣制度を導入し、続くダレイオス1世(Darius I, 522–486 BC)の時代にペルシャ独自の金貨体系が確立されました。これが、世界帝国としてのペルシャが発信した最初の標準通貨であり、その後の王朝の模範となりました。
金貨の歴史を辿ることは、イランの興亡の軌跡を辿ることに他なりません。パルティア朝やササン朝の時代を経て、イスラム教の伝来とともにその意匠は偶像崇拝を避けるためのカリグラフィーへと変化し、さらに近代のガージャール朝やパフラヴィー朝では西洋的な肖像刻印が復活しました。各時代の金貨は、その時々の冶金技術の粋を集めて作られており、現代の歴史家やコレクターにとって、当時の社会状況を物語る一級の史料となっています。
Key facts
- ダリック金貨はダレイオス1世によって紀元前515年頃に導入された世界初期の標準金貨である。
- アケメネス朝の金貨の純度は非常に高く、通常95%から98%の金含有率を誇る。
- ササン朝のディナール金貨は、主に儀式用や対外贈答用として鋳造され、流通量は銀貨より少なかった。
- イスラム期の金貨には、支配者の肖像の代わりにコーランの一節や君主の称号が刻まれた。
- 「トマーン(Toman)」は元来モンゴル語で「一万」を意味し、貨幣単位として長年定着した。
- パフラヴィー朝の金貨は、1926年に古代の栄光を反映した新しい重量基準(アザーディー)で再編された。
ペルシャの金貨(Persian gold coin)の起源:アケメネス朝のダリック
ペルシャの金貨の歴史は、アケメネス朝(Achaemenid Empire, 550–330 BC)のダリック(Daric)から始まります。ダレイオス1世は、帝国内の経済を統一するために、約8.4グラムの標準重量を持つ金貨を発行しました。この貨幣の表面には、膝をついて弓を構える王の姿が刻まれており、ギリシア人からは「弓使い」の愛称で呼ばれました。

ダリック金貨の特徴は、その形状が完全な円形ではなく、厚みのある豆のような形をしている点にあります。裏面には具体的な図柄はなく、打刻の際についた凹み(インクース)が見られるのが一般的です。この金貨は、ペルシャ戦争においてスパルタやアテナイの政治家を動かすための工作資金としても使用され、「ペルシャの弓兵(金貨)がギリシアを征服した」という言葉さえ生まれました。
ダリック金貨の主要なタイプ
- タイプI: 王の半身像が描かれた初期の試作的なデザイン。
- タイプII: 王が膝をつき、弓を引く姿が描かれた最も一般的なデザイン。
- タイプIII: 王が走りながら弓と槍を持つ、躍動感のあるデザイン。
- タイプIV: 王が弓と短剣(アキナケス)を持つデザイン。
ササン朝とイスラム初期のディナール
ササン朝(Sasanian Empire, 224–651 AD)において、金貨はディナール(Dinar)と呼ばれました。アルダシール1世(Ardashir I, 224–242 AD)以来、ササン朝の金貨は王権の正当性を示す重要な役割を担いました。表面には精緻な王の肖像が、裏面にはゾロアスター教の聖火台(アータシュダーン)とそれを守る二人の守護者が描かれました。

7世紀にイスラム勢力によるペルシャ征服が進むと、貨幣制度も大きく変化しました。ウマイヤ朝のカリフ、アブドゥルマリク(Abd al-Malik, 685–705 AD)による貨幣改革により、偶像とみなされる人物像は廃止され、アラビア文字による信仰告白(シャハーダ)が刻印されるようになりました。これがペルシャにおけるイスラム式ディナールの始まりです。
中世から近世:トマーンの登場と発展
イル・ハン朝(Ilkhanate, 1256–1335 AD)やティムール朝の時代を経て、イランの貨幣制度は複雑化しました。この時期に登場したのがトマーン(Toman)という単位です。サファヴィー朝(Safavid dynasty, 1501–1736 AD)の時代になると、金貨は「アシュラフィー(Ashrafi)」と呼ばれ、ヴェネツィアのドゥカート金貨に近い重量基準で発行されました。
サファヴィー朝の創設者イスマーイール1世(Ismail I, 1501–1524 AD)は、自らの宗教的アイデンティティを強調するため、十二イマームの名を貨幣に刻ませました。これは、オスマン帝国の貨幣との明確な差別化を図る目的もありました。
| 朝代 | 金貨の呼称 | 主要な特徴 | 標準重量 (約) |
|---|---|---|---|
| アケメネス朝 | ダリック | 弓を持つ王の姿 | 8.4g |
| ササン朝 | ディナール | 聖火台と王の肖像 | 7.0g - 4.2g |
| サファヴィー朝 | アシュラフィー | 什葉派の信仰告白 | 3.5g |
| ガージャール朝 | トマーン | 太陽と獅子 (Shir-o-Khorshid) | 3.4g - 2.8g |
ガージャール朝と近代化への変遷
19世紀、ガージャール朝(Qajar dynasty, 1789–1925 AD)の下でペルシャの貨幣は近代的な転換期を迎えます。ナーセロッディーン・シャー(Nasir al-Din Shah, 1848–1896 AD)の治世下では、ヨーロッパの技術を導入した機械打ち(ミリング)鋳造が始まりました。

この時期の金貨には、イランの国家紋章である獅子と太陽(Shir-o-Khorshid)が描かれるのが一般的となりました。獅子は力を、太陽は神聖な光を象徴しており、イスラム以前のペルシャ的伝統とイスラム的な象徴が融合したデザインとなっています。トマーンは金貨の呼称として定着し、1トマーン、2トマーン、さらには多額の贈答用として5トマーンや10トマーンの大型金貨も作られました。
パフラヴィー朝と現代の金貨
1925年に成立したパフラヴィー朝(Pahlavi dynasty, 1925–1979 AD)は、通貨制度の抜本的な改革を行いました。1926年、レザー・シャー(Reza Shah, 1925–1941 AD)は、フランスのフラン体系に近い新しい重量基準を導入し、金貨の名称を王朝名にちなんで「パフラヴィー(Pahlavi)」と定めました。
パフラヴィー金貨のデザインは、表面に国王の肖像、裏面に獅子と太陽、そして王冠(パフラヴィー・クラウン)が描かれています。モハンマド・レザ・パフラヴィー(Mohammad Reza Pahlavi, 1941–1979 AD)の時代には、精巧なプルーフ加工が施された記念金貨も多数発行され、世界中のコレクターに知られるようになりました。

Frequently asked questions
ペルシャの金貨(Persian gold coin)で最も古いものは何ですか?
ペルシャの金貨の中で最も古いものは、アケメネス朝のダレイオス1世が紀元前515年頃に導入した「ダリック」です。この金貨はリディア王国の貨幣技術を継承しつつ、ペルシャ王の姿を刻印した独自の重量基準(約8.4g)を持っていました。古代世界において高い信頼性を誇り、国際的な交易通貨として広く利用されました。
なぜササン朝の金貨は銀貨に比べて少ないのですか?
ササン朝の経済は主に銀貨(ドラクマ)に基づいて運用されており、金貨(ディナール)は日常的な商取引のためではなく、主に王室の権威誇示や儀礼的な目的で鋳造されたためです。ディナールは戴冠式での配布や外国使節への贈答、あるいはビザンツ帝国への支払いなどに限定的に使用されました。そのため、考古学的な発掘においても金貨の発見例は銀貨に比べて極めて稀です。
「トマーン」と「ディナール」の違いは何ですか?
ディナールは古代から中世にかけての主要な金貨の名称であり、トマーンは元来モンゴル占領期に導入された1万ディナールを表す計算単位でした。時代が下るにつれ、トマーンは実際の金貨の呼称として定着し、ガージャール朝時代には主要な金貨単位となりました。現代のイランでは公式通貨はリアルですが、市民の間では今でも10リアルを1トマーンと呼ぶ習慣が残っています。
イスラム期のペルシャ金貨に肖像がないのはなぜですか?
イスラム教の教義では、唯一神アッラー以外の偶像を崇拝することを禁じており、その影響で貨幣に人物や動物の肖像を描くことが避けられたためです。そのため、サファヴィー朝やアフシャール朝などの金貨の表面には、美しいアラビア文字やペルシャ文字による支配者の称号、ミントマーク、または信仰の告白(シャハーダ)が精緻に彫り込まれるようになりました。
パフラヴィー金貨は現在でも価値がありますか?
パフラヴィー金貨は、その歴史的価値と金含有量(純度90%)の両面において、現在でも世界中のヌミスマティクス(貨幣学)市場や貴金属市場で高く評価されています。特に大型の5パフラヴィーや10パフラヴィー金貨は発行枚数が限られており、希少価値が非常に高いとされています。イラン国内では、革命後のアザーディー金貨が主流ですが、パフラヴィー金貨も依然として収集の対象となっています。
Conclusion
ペルシャの金貨(Persian gold coin)の歴史は、単なる経済活動の記録ではなく、イランが世界史において果たしてきた政治的・文化的役割の証左です。ダレイオス1世のダリックから、ササン朝の威信をかけたディナール、そして近代のパフラヴィーに至るまで、それぞれの貨幣は当時の技術の粋を集め、王朝の栄光を後世に伝えるためのメディアとして機能してきました。これらの黄金の遺産は、現代においてもイランの芸術的アイデンティティの一部として、博物館の展示ケースやコレクターの書斎の中で輝き続けています。
Sources & further reading
- Gobl, Robert. Sasanian Numismatics. Braunschweig: Klinkhardt & Biermann.
- Alram, Michael. Sylloge Nummorum Sasanidarum. Austrian Academy of Sciences Press.
- Curtis, Vesta Sarkhosh and Stewart, Sarah. The Achaemenid Era. I.B. Tauris in association with the London Middle East Institute at SOAS and the British Museum.
- Encyclopaedia Iranica. Coins and Coinage. Columbia University.
- Hill, George Francis. Catalogue of the Greek Coins of Arabia, Mesopotamia and Persia. British Museum Department of Coins and Medals.