ササン朝コインの火の祭壇:ゾロアスター教の図像学と年代学的分析
ササン朝ペルシアの貨幣に刻まれた「火の祭壇」は、王朝の国家宗教であるゾロアスター教の神学的権威と王権の正当性を象徴する最も重要な図像であり、その変遷は帝国の歴史的変遷を物語っています。

ササン朝ペルシアのドラクマ銀貨を手に取ったとき、最も目を引くのは裏面に刻まれた荘厳な火の祭壇(アータシュダーン)の意匠です。この図像は、初代皇帝アルダシール1世(在位:224年–241年)がパルティアを倒して帝国を樹立した直後から、イスラム勢力による征服を経て王朝が崩壊するまで、一貫してコインの裏面の主役であり続けました。単なる宗教的シンボルを超え、それは「諸王の王」としての正当性を神聖なる火によって証明する、政治的宣伝の道具でもありました。
歴史学および古銭学の観点から見れば、この火の祭壇の様式変化は、帝国の官僚機構の発展や神学的な洗練を反映しています。祭壇の両脇に立つ人物像の有無、火の中に浮かび上がる顔、そして周辺に刻まれたパフラヴィー文字の銘文は、各時代の政治的状況や王の宗教的嗜好を精緻に伝えています。本稿では、この神秘的かつ体系的な図像の変遷を、百科事典的な視点から詳細に解説します。
Key facts
- 初登場: 西暦224年、アルダシール1世の即位と同時に導入された。
- 主要素材: 主にドラクマ(drachm)と呼ばれる約4gの純度の高い銀貨。
- 図像構成: 中央に祭壇、左右に守護者(王または神官)が配置される。
- 文字体系: 銘文には中期ペルシア語の一種であるパフラヴィー文字が使用される。
- 改訂の転換点: シャープール2世期に図像が簡略化され、規格化が進んだ。
- 日付の導入: 西暦5世紀末のカワード1世期より、治世年が明記されるようになった。
- 終焉: 651年のヤズデギルド3世の死と王朝崩壊により公式な鋳造が終了した。
ササン朝の火の祭壇の起源と神学的背景
ササン朝の貨幣において、火の祭壇は単なる装飾ではなく、ゾロアスター教の中核概念である「聖なる火」(アータル)を具現化したものです。ゾロアスター教徒にとって、火は真理(アシャ)の象徴であり、悪を浄化する聖なる力を持っていました。アルダシール1世は、自身の治世を「神聖なる火」の守護者として位置づけることで、前代のパルティア(アルサケス朝)との差別化を図りました。

初期の祭壇のデザインは、アケメネス朝の伝統を意識した重厚な脚部を持つものが多く見られました。これらの祭壇は、王が即位する際に行われる聖火の点火儀式と密接に関連しており、コインの裏面に描かれることで、帝国全土に王の権威が行き渡ることを意図していました。特に、祭壇の柱に刻まれたリボン(diadem)は、王権の象徴である「クワルナフ」(王光)が火に宿っていることを示しています。
図像の構成要素:守護者とシンボル
標準的なササン朝ドラクマの裏面には、祭壇の両脇に二人の人物が描かれています。これらは一般に「守護者」あるいは「従者」と呼ばれますが、その正体については研究者の間で長年議論されてきました。
- 王と神: 初期のコインでは、一人が王であり、もう一人が神(アフラ・マズダーやアナーヒター)であると解釈される場合があります。
- 二人の王: 王自身の鏡像、あるいは理想化された王の姿が両側に配置される形式。
- 武装した守護者: 後期には、槍や剣を手にした守護者が描かれ、聖火を物理的・精神的に守る役割が強調されました。

ミントマークと治世年の配置規則
ササン朝コインの歴史的価値を決定づけるのは、裏面に刻まれたミントマーク(造幣所印)と日付(治世年)です。これらは火の祭壇の両脇、守護者の外側のスペースに配置されます。
| 時代区分 | 日付の有無 | ミントマークの配置 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 初期 (224-388) | 稀 | まれに祭壇の柱に記載 | 芸術性が高く、多様なデザイン |
| 中期 (388-488) | 徐々に導入 | 右側に固定され始める | 肖像の簡略化が進む |
| 後期 (488-651) | 必須 (左側) | 必須 (右側) | 高度に規格化された大量生産方式 |
日付は通常、王の即位年からの経過年数で数えられます。例えば、「35」という数字があれば、その王の治世35年目に鋳造されたことを意味します。ミントマークは、「WH」(ヴェー・アルダシール)や「DA」(ダラーブギルド)など、都市名の略称が使用されました。

貨幣製造の技術と素材の変遷
ササン朝の貨幣システムは、銀貨を基本とする「モノメタリズム」に近い構造でした。金貨(ディナール)も存在しましたが、これらは主に儀礼用や贈答用として使われ、流通の主役はドラクマ銀貨でした。
製造プロセスは以下の通りです:
- 鋳造された円形の金属板(ブラン)を用意する。
- 鋼鉄製の刻印(ダイ)の間にブランを挟む。
- 重いハンマーで叩き、表裏同時に図像を転写する。
このプロセスにより、ササン朝のコインは非常に薄く、かつ精緻なレリーフを持つ独特の形状となりました。特にホスロー2世(在位:590年–628年)の時代には、直径が増し、三重の同心円状の縁取りを持つ洗練されたデザインへと進化しました。
Frequently asked questions
ササン朝コインの「火の祭壇」にはどのような種類がありますか?
ササン朝コインの火の祭壇には、時代によって大きなバリエーションがあります。初期のアルダシール1世期には階段状の基部を持つ重厚なデザインでしたが、シャープール1世期にはより細身になり、後期のホスロー1世期以降は非常に記号化された細い柱のような形へと変化しました。これらの形状の変化を追うことで、未鑑定のコインの年代を推測することが可能です。
祭壇の左右に立つ人物は誰を表現しているのですか?
火の祭壇の左右に立つ人物は、多くの場合、武装した王自身または神聖な守護者を表現しています。左側の人物が王冠を被っていることから王であることが判別でき、右側の人物も同様の装束、あるいは神官の衣装を纏っていることがあります。これは、ササン朝の王が世俗の支配者であると同時に、宗教的義務の筆頭遂行者であることを視覚的に示しています。
なぜ後期のコインには同じようなデザインが多いのですか?
ササン朝後期のカワード1世やホスロー2世の時代には、帝国の官僚機構が高度に整備され、貨幣の大量生産が求められました。そのため、火の祭壇のデザインは厳格に規格化され、全国の造幣所で統一されたスタイルが採用されました。この規格化により、通貨の信頼性が高まり、シルクロード全域でササン朝ドラクマが国際通貨として流通する要因となりました。
祭壇の周りに書かれている文字は何と読むのですか?
火の祭壇の周辺には、中期ペルシア語を記すためのパフラヴィー文字が刻まれています。右側には造幣所を示す略号(ミントマーク)、左側には王の治世年が言葉として綴られています。例えば「sy」は30を意味し、「wyhc」は首都近郊の造幣所を示します。これらを解読することで、そのコインが「いつ」「どこで」作られたかを正確に知ることができます。
イスラム征服後、この火の祭壇の図像はどうなりましたか?
651年の王朝滅亡後も、初期のイスラム総督たちはササン朝のデザインを踏襲した「アラブ・ササン式貨幣」を鋳造し続けました。火の祭壇の図像はそのまま残されましたが、縁の部分にアラビア語で「ビッスミッラー」(神の名において)などの文字が追加されました。最終的に8世紀初頭のウマイヤ朝による貨幣改革が行われるまで、この宗教的図像は生き残りました。
Conclusion
ササン朝のコインに刻まれた火の祭壇は、古代イランにおける神聖王権の象徴であり、約400年にわたる帝国の興亡を映し出す鏡です。その図像は、初期の芸術的な多様性から後期の機能的な規格化へと変遷し、当時の政治、宗教、経済の在り方を雄弁に物語っています。現在、大英博物館やアメリカ・ヌミスマティック協会などの主要な機関に所蔵されているこれらの貨幣は、ゾロアスター教の視覚文化を理解する上で欠かせない一次史料であり続けています。火の祭壇という一つのモティーフの中に、古代ペルシア人の精神世界と、広大な帝国を支えた緻密な行政システムが凝縮されているのです。
Sources & further reading
- Rika Gyselen, New Evidence for Sasanian Numismatics, Res Orientales.
- Nikolaus Schindel, Sylloge Nummorum Sasanidarum, Austrian Academy of Sciences Press.
- Touraj Daryaee, Sasanian Persia: The Rise and Fall of an Empire, I.B. Tauris.
- Encyclopædia Iranica, Sasanian Coinage, Columbia University.
- British Museum, Catalogue of Sassanian Coins, British Museum Press.